たとえどんなに嫌いな相手でも(←余計な一言)困っているのであれば助けようと、この人は私の大嫌いな クズ野郎 人ではないと自分に言い聞かせ(←余計な一言)、湧き上がるイライラをムリクリねじ伏せ、極力心を無にし、ただひたすら、自分のできる限り最大限の範囲で人を助けることに集中した結果、神様がご褒美をくれました。
どーん。
愛媛県産ヒノヒカリ、3kg。
と、謎のレトルトカレー。
ひゃっほうひゃっほう。
ありがとう、JAおきなわ食菜館菜々色畑(と神様)!!!
しかもこのお米、超美味しいんですけど!!!
愛媛産のお米万歳。
ここは過去にも家人が果物つめつめセットを当てたことがあり、我々が足を向けて寝られない道の駅(に隣接のJAおきなわ)です。
徳を積むのって大事だなあと改めて思った次第。
早くもっと稼いで毎月チャイルド・スポンサーシップができる身分にならなくちゃ。
好きで貧困国や虐待家庭に生まれたわけじゃないのに、親もいなくて日々食べるものにも事欠く生活とか、毎日殴られる生活とか、本当につらい。
未来に希望が見えない子どもなんて、いちゃいけないのに。
で、オチは、このコメを取りに行くためにはバスでもカーシェアでもレンタカーでも、家人と2人最低2,000円かかるっていう。笑
せっかくなんでお米ばいただきに行ったついでにドライブがてら、貧乏人の味方スシローに行きました。
ひゃほー。
※情報はすべて2019年6月現在。
全国的に同じなのかは存じませんが、ここのスシローは開店と同時に入らないと激混みになります。
昼や夜はまず入れない。
1時間待ちとか、ザラ。
アプリで早く入れる予約もできるようですが、面倒臭いので我々は朝ごはんを抜いて、朝一で行きます。
この時の期間限定メニューはこげなラインナップでございました。
いっぱい食べる之図。
美味しかった、はらこ飯的な何か。
しらすまぜそば、うまー。
しらすといくらがいい仕事してました。
これはまた食べたい。
当分来られないので、また欲望の限りを尽くしました。
次に行った時には確実に消えてますからね、このメニュー。
さて、チャイルド・スポンサーシップの話とちょっとだけ関係するのですが、私は物心ついた時から常々
「好きでそこに生まれたわけではない」
ということについて、考えておりました。
=ひとは何の使命があってそこに生まれたのだろう、と。
父親に毎日のように殴られたりしない、もっと普通の家に生まれたかったんだけど。ねえ。神様。聞いてる?
そして私の使命って何なんだろうと。
例えば、ラオスとかネパールとかブータンとかに生まれた貧困層の人たちはきっと、一生海を見ることなく人生を終え。
逆に、小さな島国に生まれた貧困層の人たちは、きっと一生山を知らずに人生を終えるんだなあと。
もちろん、当人たちにとっては海を知らなかろうと山を知らなかろうと、どうでもいいことかもしれません。
私の主観による余計なお世話だと分かってます。
でも、どちらの良さも知る日本人の私は、自分のおかれた環境って何て恵まれているんだろう、とやっぱり思ってしまうのです。
学校にちゃんと行けて、しかも徒歩10分で通えて、通学路に危険生物もいなくて。
家に帰れば優しいおかんがいて、裕福ではないとはいえ、3食ご飯が食べられて。
戸籍があって、薄給とはいえ仕事があって、毎日ご飯が食べられて、健康保険があって、選挙権があって、己の責任の範囲内で発言に自由があって。
何より、友達もたくさんいて。
決して幸せな幼少期ではなかったけど、少なくとも毎日食べるものに事欠いたり、ゴミ拾いや物乞いで生計を立てるほど貧しくはなかったし、大人に毎日襲われるような環境でもなかった。
昔バングラデシュで13歳の幼い花嫁とか(しかも相手は医者だった。医者も辞退しろよ、そげな幼子……医者が13歳の子の未来を奪うのかよ、と憤りましたが、まあ、止められるわけもなく。実際花嫁がどう思ったかは知らないけど、医者に嫁げてよかったって思う子もいるかもしれないけど、それでも、やっぱりちょっとかわいそうだなあと思いました、そこそこ先進国出身者としては)、学校に行けなくて弟妹の面倒を見てる年齢1桁のガリガリの子たちをたくさん見たけど(お金がなくて風習であるピアスを買えないから、鼻や耳のピアス穴に藁刺してたり、裸足だったり裸だったり、土を盛って柱と屋根があるだけの家だったり……)、勉強するために普通に学校に通えるって本当に幸せなことなんだと。
恵まれた環境で育ったものは、恵まれない環境の人に何かしてあげないと、という焦燥感だけがつのります。
この国に生まれたってことは、この国の民として彼らにできることが絶対にあるはずなのですが、今はそれができなくて辛いところ。
とりあえず、溜まったささやかなTポイントをYahoo募金に回す日々です。
できることからこつこつとね〜。
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