続・家人のご親戚案内記。
沖縄そばの後は、ゆいレール(沖縄都市モノレール線)で首里城へ。
火災のあった日(2019年10月31日)、私はちょうど福岡へ発つところで、機内から見えた那覇の街は白く霞んでおり。
那覇空港駅で配られた号外を、機内で読みました。
▼2019年10月31日 10:16撮影
あの城は間違いなく沖縄県民の戦後復興のシンボルでもあったはず。
他県民はほぼ体験していない「長期間の米軍占領」から日本復帰までの長い長い道のりを、共に歩んだ城であったはず。
それを失い、深い悲しみの底にいる沖縄県民は何も悪くない。
その悲しみに寄り添える人間でありたい。
少なくとも、小学生がお年玉を全額首里城復興に募金した新聞記事にケチつけるような人間ではありたくない。
▼離れているので無事だった守礼門(しゅれいもん)
▼ここも無事だった。園比屋武御嶽石門。そのひゃんうたきいしもん。読めない。
▼何度見ても痺れる曲線美。久慶門(きゅうけいもん)
何の技術も持ち合わせていない私が物理的にできることなど何もない。
募金頑張る。
首里金城町石畳道を散策。
島添坂(シマシービラ)を抜けると石畳。
とても好きな道。
琉球王国時代から続く、真珠道(まだまみち)と呼ばれるこの旧道。
ずっと歩けば首里城から那覇港まで続いているらしいです。
昔は車なんてないから、港から王宮まで徒歩で通ったんでしょうねー。
石畳を少し外れると、有名な巨木、首里金城の大アカギが。
人間いないと大きさが伝わらないですな。
石畳もアカギも、よく戦争から残ってくれた……。
(首里城は戦争中日本軍の本拠地となったせいで、跡形もなく木っ端微塵にされた場所)
家人のご親戚とはここでお別れ。
沖縄をすっかり気に入ったご親戚は、絶対また来たい!!!と仰って去って行きました。
またいらしてくださーい!
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