WEBデザイナー修行日記。

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モンブラン

みやぎ菓子店

病院の帰り道、ケーキ屋さん発見。

外観

これはあれだ。

血管が取れなくて、結局両腕から血を抜いた自分へのご褒美を買えっていう神の啓示。

とはいえ病院代がかかっておるので、控えめに。
と思ったら、そもそもがお安い。

チーズケーキなんて150円ですって、奥さん。(誰)
モンブランでさえ230円ですって、奥さん。(誰)

安い。

※情報はすべて2019年10月現在。

ケーキ箱

ショーケースはたまたま予約のバースデーケーキで埋め尽くされていて、普通のケーキはなかったので、写真なし。

今 奥から出せるケーキはモンブランとチーズケーキです、と言われたので、それに従ったまで。

モンブラン

モンブランは変なメレンゲが入ってなくて土台がタルトではなくフィナンシェだったので、ちょー好みでした。
食べにくくない!
もろもろしない!
フォークさしやすい!

そして個人的にモンブランにメレンゲは要らないので、ちょーウマイ!笑

チーズケーキ

チーズケーキは2層になっていて、上がチーズ、下が普通のスポンジでした。
軽めでふわふわでウマし!!!
とても150円とは思えません。

あ、チーズケーキのまともな写真がないのは、撮影していて写真を撮る前に真上にレフ板を落っことしたからです。泣笑

いつかまた通ったら、違うケーキを買おうと思います。
今度は種類たくさんあるといいな〜。

勝手にちっちゃいお店応援隊としては、個人商店を見ると何か買わずにはいられないのです。
経済は回してなんぼじゃ。知らんけど。

ケーキ屋からの通りすがり、地元のおじいさんとおばあさんが多分軽減税率について話しておられたのであるが、よそ者の私は

「ぬー(=何)」

「8%」

しか聞き取れませんでした。笑

うわあ。
この会話分かるようになりたい。

これが噂のウルクムニー(※)か?
と思ったけど、そもそもうちなーぐち(沖縄語)も分からんので、区別がつきません。

外国語が一切分からない日本人にとって、北京語と広東語の区別がつかないのと同じような気がします。

※ウルク=小禄(おろく)。地名。
「オ」の音はもともと沖縄語にはないので、「うるく」が本来の呼び方みたいです。
ムニー=言い方。

以下、すごくマニアックなネタなんですが。

小禄地区は那覇の中でも少し独特な地域だと言われています。

wikiに

古くから小禄に定住している人は、ウルクンチュ(小禄の人、小禄人)と呼ばれ、ムンチュー(門中)意識が強い。特に年配者は、ウルクムニー(小禄喋り)と呼ばれる独特のイントネーションで話す。

と書かれているくらいだから、相当個性が強い地域と見受けられます。

※門中=父系の血縁集団。一族みんなが古墳ばりに大きな同じ墓に入るとか、沖縄の門中はちょっと特殊。

住んだことはないので実際はどうか分かりませんが、言われてみれば確かに、4年前に小禄のイオンで見知らぬおばあさまに

「普通****って名前は○○○って漢字を使うけど、うちは○△△と書くのね。うちのムンチューは特別なのよ(笑顔)」

と言われたことがあります。
何かのイベントで並んでいたときに、前に並んでいたおばあさまとの世間話の折。

見知らぬナイチャーに門中の話をするくらい、ご自身の出自を誇りに思っていらっしゃるんだなあと微笑ましかったのを覚えています。

誰しも生まれ故郷は大事だと思うものだし、やっぱり故郷は特別なものだから、分からない話ではないです。

私はそこまで出身地に執着はないけど(だから好き好んで沖縄に住んでいるともいえる)、まあ、地元が好きで好きでたまらないって方は一定数いますもんねー。

小禄のすぐ隣町、大嶺ご出身のご近所さん2号は、「小禄にはなまりがあるけど大嶺にはないので、大嶺は小禄ではない!全然違う!」と力説しておられたけど、おしなべて那覇市民は「間切(まぎり)」という昔の区切りで土地を区別するので、小禄周辺の地区は全部「小禄」です。
小禄間切があったから。

▼純粋な町名「小禄」は以下の地域。字小禄と、小禄。でも、那覇の人のいう「小禄」は川の左側ほとんどです。豊見城から上、漫湖(=国場川)から左が、那覇の人がいう「小禄」。たぶん。

大嶺も金城(かなぐすく)も赤嶺も田原(たばる)も宇栄原(うえばる)も奥武山(おうのやま。でも町名は山下になるのかな。奥武山公園という名称は残っているけど、町名はない)もその他周辺地域も、小禄周辺の地区はぜんぶ「小禄」と呼ばれます。

「田原で……」とか「大嶺の……」とか言っても、8割の方に「ああ、小禄ね」と訂正されます。(※個人の体験です)

どうやら首里寄りの那覇市民にとって、首里から空港方面へ行き国場川を超えると、そこはすべて小禄らしい。
そのあたりの細かい町名を聞いても、いちいち頭の中で小禄地区にある**町と変換する作業が必要らしい。(推測)

なので、純粋な小禄地域と周辺地区は全然違う!という感覚は、そこに住んでいる人にしか分からないかもしれませんね。

ちなみにこの間切は首里、真和志、豊見城あたりにも適用されます。

どんなに細かい地名を言ったところで、「ああ、首里のね」とか「ああ、真和志ね」と言い返されます。
なんなん。
もう面倒臭いので、最近は「小禄の」とか「首里の」って言ってます。笑

沖縄の人とのこういう話題は楽しくてしょうがないです。
文化人類学における、リアルなフィールドワークだなあと。

そしてふと、淋しくなります。
あのおじいちゃんとおばあちゃんが亡くなったら、あの言語をネイティブで話す人がまたこの世からいなくなっちゃうんだなあと。
アイヌ語についてもそうだけど、日本人も罪なことしたよなあ、と。

40〜50代の同僚でさえ親の代は既にうちなーぐちを話さなかったと言っているので、たぶんネイティブ話者はもういなくなる一方でしょう。
おそらく増えることはない。
哀しいけれど。

言語の死は文化の死でもありますからね。
先人が何千年も守ってきたものをたかだか100年くらいで葬ってしまうって、本当に罪深いし、せつない。

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